博多大吉

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博多 大吉(はかた だいきち、1971年3月10日 - ) は、日本お笑い芸人である。本名、吉岡 廣憲(よしおか ひろのり)。

兵庫県神戸市生まれ、福岡県古賀市出身。吉本興業東京本社所属。芸人仲間から『大吉先生』と呼ばれている。2012年5月より古賀市のふるさと大使

人物・来歴

  • 福岡県出身の父と福島県出身の母のもと、両親曰く「墓にまで持って行く」「絶対に教えない」理由で神戸市で生まれ、2歳の時に古賀市へ移転。
  • 古賀市立古賀中学校福岡県立光陵高等学校卒業、推薦入学で福岡大学経済学部へ進学するが後に中退。なお、在籍していた落語研究会での高座名は「福々亭こまんど」である。
  • 博多華丸・大吉ツッコミ役およびネタ作りを担当している。旧芸名亀屋 大吉(かめや だいきち)。
  • 2007年11月18日、12年来交際を続けていた宮崎県出身の女性と結婚した。
  • 天性の虚弱体質と運動音痴であり細身の体格である。中学生時代はバスケットボール部に所属していたが、強豪バスケ部のスポーツマンメンバーのなかでは場違いな存在であり、他の(対戦相手の)チームからは「捕虜」と影であだ名されていた(彼がそれを知ったのは高校時代に入ってかららしい)。中学三年間で心底バスケットが嫌いになるが、高校時代、「強豪チームに所属していた高身長の経験者」という理由で再びバスケ部に入れられてしまうという悲劇に見舞われる。
  • その外見から若手芸人時代は「もやしっ子」などと呼ばれていたこともある。
  • 東京進出後は、福岡吉本時代の後輩であるバッドボーイズの清人を自宅に居候させていたことがある。
  • 同じ事務所所属の先輩芸人今田耕司主催の飲み会、通称コージー's ナイトに常に招待されるなど、かわいがられている。その性格から食器洗いも丁寧なため、徹底した綺麗好きとして知られる今田家の、台所に入ることを許可されている数少ない芸人でもある。
  • また、福岡時代に二人揃って出演した際の司会はほとんど大吉が務めていたことなどから、番組の仕切りやトークの能力の高さに関しては相方以上と評価をする向きも少なくない。この為『アメトーーク!』は「じゃないほう芸人」に出演しているが、地元福岡では全国で言われるようなコンビ間の知名度の差は少ない。
  • 福岡吉本の後輩・パンクブーブーを非常に可愛がっており、その実力を早くから認めていた。
    • ボケの佐藤については「(福岡吉本に入って間もない時点で)ずば抜けて面白かった」「福岡吉本にこんな天才が入ってきたんだと驚いた」と語っている。現在でも、素は物静かで人見知りな佐藤を飲みに連れていく、非常に稀有な人物である。大吉曰く、「哲夫と飲みに行ってるのは地球上で僕だけ」(やりすぎコージーより)。
    • 相方のブレイクによりできた数百万円の貯金を、パンクブーブーが芸人を辞めないための資金として保管していた。
    • M-1前、七夕の短冊に「パンクブーブーに光が当たりますように」とお願いしたことがある。その願いが叶いM-1で優勝した佐藤が真っ先に大吉に報告の電話をすると、大吉は泣いていたらしい。
  • フットンダでは『エドはるみ命』とTシャツに書いた。
  • ただ、テレビ出演時などでは、芸人としての性なのか彼らに対して辛辣な発言をすることがある。
  • 酒好きで酒豪。水割り焼酎をペールで飲む。ほぼ毎日晩酌しており、一晩で一升は飲むらしい。ボトルを三本飲んでも平然としている。相方の華丸によれば「どこ行っても黒霧島飲んでます」[1]とのこと。周りの芸人から、酔うとたちが悪いと言われている。麒麟の川島は『性欲ないように見えるだろう』『俺だって性欲あるよ。しかも強いよ』と酔っ払った大吉に言われた。しかし大吉本人はそのことに関して全く覚えていないという。
  • 一方、食に関しては、元々「一錠でおなかいっぱいになる薬があればいいと思ってた」ほど無頓着で、大学時代までしゃぶしゃぶクッパを知らないほどだったが、食に対するこだわりの強い相方の「華丸さんに鍛えられた」[2]ことで、現在ではロケ収録での箸上げなどにも細かな気配りを見せる。
  • 物腰の柔らかそうな雰囲気とは対照的に、実は筋の通った強い男気の持ち主。他の人が気づかないような細かいことにも気を配る。
  • シャイである。

趣味・嗜好

  • プロレスが好きで「DRAGON GATE〜龍の扉〜」の司会者、JSPORTSユウキロックゆってぃとともにWWEの紹介番組でナビゲートをつとめている。プロレスラーハヤブサは親友である。ハヤブサが2001年の試合中のアクシデントにより頸椎損傷し全身不随の重傷を負った後、2002年に福岡の番組に大吉には内緒で出演。車椅子に乗って出てきた時点で大吉は、本番中にもかかわらず号泣してしまい、それを見たハヤブサは「ねぇ大ちゃん、挨拶ぐらいしようよ」と、笑いながら明るく話しかけたほどの間柄である。
  • 他にも三沢光晴とは飲み友達であり、このことが松下笑一の改名のきっかけにもなった(本人項目参照)。
  • 他に好きなこととして、「アニメキャラクターの年齢を調べるのが好き」であると、「未来創造堂」の番組中で語り、指定された年齢のアニメキャラクターを列挙することができる様を示した。
  • ししゃもが好きで昔はししゃものオスとメスを仕分けするアルバイトをしていた。

エピソード

  • 2006年2月に博多華丸R-1ぐらんぷりで優勝したが、実は、大吉とマネージャーが華丸の了承を得ずにエントリーしたことに端を発している。また、このとき披露された「児玉清のあいうえお作文ネタ」の考案者も大吉である。元々R-1の決勝でのネタは華丸は違うネタをやろうとしていたが、大吉が余りに強くそれを止めるため「じゃあ(大吉が勧めた)これで行ってやろう、その代わりどうなっても知らんぞ」と言う気持ちで児玉ネタに切り替えた。
  • 2007年R-1ぐらんぷりに、今度は華丸から本人の了承を得ることなくエントリーされた上、「もし1・2回戦で負けたらコンビを解散するかも」とコメントされ、重圧のかかる中出場し準決勝まで進出した。
  • 雨上がり決死隊のトーク番組 アメトーーク!」での活躍で注目された。
    • 同番組には「越中詩郎芸人」などにピンで出演。特に「中学の時イケてないグループに属していた芸人」シリーズで語った、中学時代に文化祭で焼却炉の番を任され、どんなゴミでも燃やしたことから「焼却炉の魔術師」というあだ名を付けられた、というエピソード[3]が第2回(2008年)アメトーーク大賞[4]の流行語大賞を受賞したり、その他の中学時代のエピソードで爆笑をさらうなど活躍が目立ち、同番組のプロデューサーである加地倫三からは「彼が喋ると何でも面白い。実はものすごい実力者で計算も出来てセンスも才能もある。発表の場を与えればもの凄い力を発揮しますよ」と評されている。
    • この番組の企画「誰が先輩?後輩?ハッキリさせよう」[5]で実は千原兄弟やFUJIWARAなどのNSC8期生と同期であることが発覚した。しかし本人は同企画に出演していなかったため、番組を見た際出演者で福岡吉本同期のカンニング竹山がその点を指摘するまで知らず(福岡時代を芸歴に入れず)に今日に至っており「今更千原兄弟さんやFUJIWARAさんにタメ口なんて無理」と、あくまで自分の同期は9期生(ナインティナイン・ほっしゃん。宮川大輔矢野・兵動ら)であるとしており、彼らも認識は改めていない。ちなみにその後8期生とタメ口で話す様子をイメージトレーニングした結果、「やっぱり今更『ジュニア』『せいじ』とは呼べない」が「案外『大山』は余裕だった」と語った[6]
    • 「大吉先生」と最初に呼んだのは加地倫三。打ち合わせで頻繁に「大吉先生」と言っていたことが雨上がり決死隊にも伝染し、そこから番組では「大吉先生」と呼ばれるようになっている[6]
  • 2011年1月発売のFRIDAY要出典に岡村が載った際にその場に大吉も同行していたのだが、記事には「後輩の博多大吉」と書かれていた。
  • 『マンスリーよしもとPLUS』1月号にて、その年一番の話術師を決める「よしもと・オブ・ザ・イヤー2009」で5位にランクインした。
  • 歌がへたな王座決定戦」にも出演している。

出演作品

博多華丸・大吉としての出演は、博多華丸・大吉の項を参照。

現在の出演作品

テレビ番組

レギュラー出演
不定期
  • 獣神☆大吉(KBC

ラジオ番組

過去の出演作品

テレビ番組

危ない夜会(2014年6月5日。TBS)

ラジオ番組

  • POWER COUNTDOWN HIROSHIMA in DEODEOサテライトスタジオ(HFM

  • 年齢学序説(幻冬舎、2010年2月20日)

脚注・出典

  1. 「ごはん迷う芸人、博多華丸の大決断! 食べずに終われんばい!」(ヨシモトブックス)P27
  2. 「ごはん迷う芸人、博多華丸の大決断! 食べずに終われんばい!」(ヨシモトブックス)P38
  3. 2008年9月4日放送回
  4. 2008年12月11日放送回
  5. 2007年10月11日付放送分(DVD Vol.22収録)
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外部リンク

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