バトゥ・リンタン捕虜収容所

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バトゥ・リンタン捕虜収容所(バトゥ・リンタンほりょしゅうようじょ)は、ボルネオ島クチンにあった日本軍の捕虜収容所。終戦後には、ボルネオに駐在していた日本人が同収容所に収容された。[1]

昨日まで敵兵を収容していたアタップ小屋へこちらが逆転投げ込まれたのだから世話はない。ヤレヤレと思う間もなく、裏山のゴム林の中に林立する何千か何百か知らねど、アノおそまつな板製の十字の墓標を見せられた時には、思わず背筋がジンと寒くなり、やがてわれ等もこんな姿になるのではないのかとさえ覚えた。

石河頑爺 西ボルネオから引揚げの途中、リンタン収容所に収容された際の感想[2]

付録

脚注

  1. 赤道会 1975 7
  2. 赤道会 1975 7。石河は1946年初に同地を離れている。

参考文献

  • 赤道会 (1975) ポンチアナク赤道会『赤道標』JPNO 73012073